じつに五〇歳の若さにして、ドイツ最大の企業の経営者になった。 その余勢をかって、C社買収の構想を描きはじめたのである。
このとき、その話題をさりげなく書いたアメリカの新聞があった。 九五年五月三一日付『デトロイト・ニュース』である。
同紙は、ウール街のうわさとして、「ドイツ企業が、クライスラー買収をもくろんでいる」と報じた。 ドイツ企業とは、もちろんダイムラーであった。
記事は、その一週間前、ダイムラーがドイツ銀行から三六億ドルの信用供与を受けたことを明らかにしていた。 当時のダイムラーの年間純益(九四年実績)は、わずかに七億ドルだった。
三六億ドルという金額は、それを五倍も上回る規模だ。 もし合弁事業をもろむのだったら、常識的にいってこんなに巨額の資金は必要としないはずだった。
この事実は、それまで明らかにされていなかったが、ダイムラーの戦略がC社の完全買収をねらっていたことは、明らかだった。 同紙の確認にたいして、ダイムラー社ニューヨーク支社広報部は、いっさいのコメンを拒否した。

これで、その話題はさたやみとなってしまった。 むしろウール街の話題は、C社株の買占め問題に移っていた。
このころ、株価がジワリジワ上がっていた。 九一年秋に一〇ドル以下だった株価が、九二年に一〇ドル台、九三年には二五ドルを突破、九四年にやや下げて、九五年末に三〇ドルをねらう勢いになり、九六年には三五ドル直前となった。
仕手は、ラスベガスの買占め王といわれるK・カーコリアン氏だった。 当時、彼はクライスラー株一〇%(時価二〇億ドル)を手中におさめ、株式配当の低さをイ1ン会長(九三年一月一日就任)に抗議していた。
経営支配までする意思はなかったらしい。 この買占め事件に前会長アイアコッカ氏が大活躍したことは、それまで経営をみてきた立場からすれば、言語道断なことであった。
ダイムラー側は、この渦中に飛び込むことは得策ならずと判断、その合弁(合併)計画は中止となった。 ただ、今回の合併さわざで、ひとやまあてたのはカーコリアン氏だったことは、まちがいない。
そんなところから、今回の合併の仕掛け人は、彼だったといううわさも流れたが、真偽のほどはもちろん明らかではない。 こうして、ダイムラーとC社は、またもや接触のチャンスを逃した。
ただ、副産物はあった。 両社経営陣が、この八カ月間、親交を深めたことだ。

とくに、おたがいの企業文化のちがい、二一世紀にたいする危機意識についてかなりつっこんだ意見の交換がなされた。 ただし、ダイムラーの再編の関心は、ことC社に限らなかったようだ。
C社との交渉が、一時中断したダイムラーは、九七年秋へフード会長(当時)A・ロッマン氏と接触した。 氏は、ダイムラー会長シュレンプ氏とは、かねて深い交際をつづけていた。
そこで両巨頭は、当然のことながら、再編のことを話し合った。 両氏に近い筋によれば、そのとき二人はunite(合体する、合併する)ということばを使ったという。
ロッマン会長は、少なくとも二回、その話し合いの模様を重役会で説明した。 もちろん、重役会の決議をとるほど煮つまった内容ではなかったが、ロッマン会長としても、世界の自動車産業がなんらかの形でuniteする可能性のあることは同意したという。
それを裏づけるように、フード広報担当副社長D・スコッ氏(当時)は、その後へ「ロッマン会長とシュレンプ氏は、昨年の会談では、合併も考えられるというようなことを話し合っている」と、語っている。 もし両社が合併していたら、年間売上高二二〇〇億ドル、年間販売台数八〇〇万台の巨大自動車王国が生まれるはずだった。
ちなみに、世界一のGMは売上高一七八〇億ドル、販売台数八八〇万台である。 もし実現していたら、おそらく世界の自動車地は、五年を待たずして変わっていたにちがいない。
結果的には、私は両者が合併交渉をすすめなくて、よかったと思う。 質ゆえにうまくいく合併と、同質ゆえに反発し合う合併がある。
このケースは、おそらく後者になる。 一例をあげれば、社名である。
どちらも、創業者の名前を体している。 こういう企業は、個性がきわめて強い。
とくに、フードとダイムラーは、世界の自動車企業でも群を抜いて、個性が強烈である。 その点、C社はたしかに創業者の名前を社名につけてはいるものの、いまの個性は、フードほど強くない。
経営戦略においても、商品性にしても、しかりである。 それでも、新会社の名前については、あとにもふれるように最後までもめたのである。

おたがいの競争心が刺激されるからである。 その意味では、あとで述べるように、フードがカナダのバラードを介して、ダイムラーと合弁事業をもったのは賢明であった。
この方向は、今後も展開していくだろう。 ダイムラーがフードと接触したということは、完全に秘密のベールに隠されていた。
それから、二年たった。 九八年一月四日、恒例の北米国際自動車ショーが、自動車の街デロイで開催された。
国際記者会見は、最初の三日間に行なわれた。 C社とダイムラーは、もちろんまったく別々に記者会見を開いた。
海外から五〇〇〇人の報道関係者が集まっていたが、世界のトップが集まる場だっただけに、両者の首脳が立ち話をしていても、それと記者はまずいなかった。 それでも、両社首脳は、万が一のことを考えて、食事はもちろん、立ち話さえ避けていた.その大厳戒のさなか、ダイムラー社乗用車担当重役H・フバート氏は、いまから思うと、じつに大胆な取材に応じていた。
大衆紙『USAトゥデイ』のインタビューにたいして、つぎのように鷹揚に答えている。 逆手の戦法に出たのである。
「もしわれわれがさらに成長を望むとすれば、つぎはメルセデスのブランドをもたない企業と協力していこうと思う」(注‥ダイムラー・ベンツまたはダイムラーは社名、メルセデスは車名。 ただし、ときに商品にウエ1を置いた会社の代名詞になることもある)「メルセデスの望ましい相手とは自社の卑しか生産していない会社である」紙面に載ったのは、一月五日であった。
見出しも、ごていねいに、「ベンツはパートナーを考える」(BenztoconSiderpartner)であった。 しかも、取材記者は、わざわざ記事の上で、ホンダ、B社、C社と三社の社名をあげている。

ただ、それは社名をあげるにとどまり、パーナIの反証はとらなかった。 おそらく反応を聞いても、「ノー・コメント」と返ってくるに決まっているからだ。
それほどに、C社がダイムラーの相手、それも合併する相手になるとは、夢想だにしていなかったのである。 フバー氏は、なかなかハンサムではあるが、半面、能面のような冷たい面持ちをしている。
その彼がとった逆バリ戦法が、結果的には功を奏したのであった。 『USAウデイ』の記メ者は、ノ自動車担当であった。
その彼女にして、そこまで見抜けなかったのは、痛恨の】事であったにちがいない。 このころ、ダイムラー側のバラは決まっていた。
オーショーの記者会見の全日程が終了した。 海外からの記者は、ほとんど帰国した。
その翌週、月曜日は一月二一日だった。 ダイムラーのシュレンプ会長は、C社の本社にイン会長を訪れた。
シュレンプ会長は、最後にもう一度、自動車会社がだれしも抱二一世紀への危機感を確認しょうと思った。 それにたいし、イン会長は答えた。

「私も同じことを考えていたところです」と。

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